私は文系なので数学は分かりません。僕は理系なので経済には興味がありません。が、そこに本質的違いはない。強いて言うなら大学で勉強しなくてもよかった人が文系で、嫌々勉強させられた人が理系なのかもしれない。
Cambridge dictionaries onlineでscienceを調べるとこう書いてある。
the systematic study of the structure and behaviour of the physical world...
physicalは別に「物理学」という意味ではない。
芸術のように心にとって気持いいか気持よくないかを追求するのではなく、
この自分の外の世界をsystematicに調べるということだ。
つまり文系も理系も通常の大学で勉強していることはsystematicに事実を積み重ねた学問体系で、全部scienceなのだ。しかし、どうも裁判官という極めてscience的な頭が必要となる責任重大な職についている人ですら、まさに私は文系ですと平気で言ってしまうような人が多いような気がする。
裁判官が理解していない、もしくは理解していないふりをしている、ことが2つある。
1つ目は「逆」
AがBが同じものだと言い切るには、本来次の2つを示さないといけない。・AはBだと考えて矛盾がないということ
・B以外にありえないということ
例えば、こういうことである。防犯カメラに犯人らしき人が写っているときに、カメラの画像に写るその人の顔の特徴が、被告人とぴったり一致したとする。このとき、カメラに写る人は、被告人と言えるだろうか?
答えはもちろんNo!
なぜなら他の人でもぴったり一致するかもしれないから。
つまり、AならばBを示した上で、BならばAという「逆」を示さないといけない!。
だが、鑑定書にこのような記述は多い。
「特徴が一致したので犯人と断定できる」と。
そして、それを証拠採用してしまっている。
裁判官でこの「逆」を理解している人がいるのだろうか・・・?
もう1つは「精度」
なんらかの数値を測ったときは必ず精度を示さないといけない。例えば、犯人の慎重は防犯カメラ画像から170cmだった。な~んて話があるだろうけど、その精度はいったいいくつ?±5cmの精度だったら証拠でもなんでもない。落とし穴は、上の「逆」でも述べた「一致」という言葉。一致というのは、2つの数値を計測してその数値が近い値の時に一致という。全く同じになることはありえない。大抵の場合は誤差を無視しているだけで・・・
防犯画像Aの中の人の身長は170cm±3cmで
防犯画像Bの中の人の身長も170cm±3cmだった。
だからAの人とBの人の身長は一致しているので同一人物だ!!
もちろん、これも間違っている。インチキ鑑定書では±3cmという記述すらないのではないだろうか?
裁判官も分かっていないから鑑定した証人にこう尋ねる。
「つまり、一致しているのですか、していないのですか?」
誠実な証人は「○○%の確率で一致しています」と答える。
不誠実な証人は「一致しています」と答える。
そして、裁判官は、この不誠実な証人の自信満々な回答を聞いて、彼の方が信用できそうだ!と判断する。裁判員も同じだろう。
文系の裁判官はいらない
しかし、裁判とい現実では、かならずしもこうしたscienceだけで全てが分かる訳ではない。だからこそ、裁判官が曖昧な法律と曖昧な証拠から黒か白かを判断しなければならない重大な責任がある。ならばせめて、白黒がはっきりつくscienceを学んだ人が裁判官になるべきではないだろうか。文系の裁判官はいらない。