2012年7月4日水曜日

美酒鍋の悲劇

酒の町、広島西条には美酒鍋と呼ばれる鍋が存在する。酒と塩胡椒のみで味付けする名物鍋である。この鍋を作ろうとして大失敗したことがある。失敗を繰り返さないために、ここにその失敗を記しておこうと思う。

それは体育会サークルの合宿での出来事だった

美酒鍋を作ったのは鹿児島の山の中である。当時大学1年生の春休み。これが最初で最後となった。

大学のクラブ活動で鹿児島の名も無き、道も無き山々を地図のみを頼りにして約一週間歩き通すという、大学生ならではの無謀をやっていた。一緒に行動していたのは、3年生2人、2年生1人、私を含めて1年生2人の合計5名である。その年度最後のイベント、春合宿の話である。

体育会サークルのそのグループは、まるで軍隊のように3年生のリーダーが、計画から現地での采配を担当する。1年生の仕事は朝昼晩と食事を作ること。普段から週末になれば近場の山々に登りに行って、テント生活やら地図読み、天気図の読解などを訓練した。すべての装備、食料、燃料を80リットルくらいのザックに詰め込み、山中テント泊、一切のゴミや茹で汁すら捨てない、遭難対策を含めて全て自分たちの責任でやる。このような極めて高い自立精神の下に活動するクラブだったため、日々の訓練を欠かさなかった。「起床!」の掛け声で起き、鍋に水を入れてから温め始めるまでの時間は数十秒という世界である。

何日目だっただろうか。おそらく終盤あたり、もう藪の中を歩き続けて、5日くらいたったとき、ようやく町にでた。それまで、ささやぶ、茨のやぶ、倒木やぶ、ボロボロに枯れたX字に交差しまくる竹やぶなどありとあらゆるヤブを体験してきた。先頭を歩くものの体力消耗が激しいので、一定時間経てば先頭が交代させられる。雪山でのラッセル(雪を踏み固めてあるく方法)とよく似ている。このようにやぶの中を歩き続けてヘトヘトになった末に、たどり着いたのが、町につながる道路の末端、貯水施設の前である。

先輩の最後のプレゼント

いつもなら食事の準備にとりかかるはずだが、なぜか今回は1年生は休んでよしと言われた。その理由は、最後の合宿ということで特別に3年生が食事を作るという企画が用意されていたからである。何を作るかは直前まで内緒というサプライズ付きで。当然我々は、真昼にも関わらずザックをベッド替わりにして爆睡して待った。

3年生が帰ってきた。何やら楽しそうである。いつものごとくテントの中で食事の準備を始めた。食事の準備で1年生である我々がただ眺めているというのも、久しぶりで新鮮だった。ヘトヘトにつかれた時に食事の準備をしなくていいというのは、こんなにいいものかと思った。

美酒鍋、調理開始!・・・そして地獄絵図

その夜は、どうやら美酒鍋らしい。鹿児島だからか肝心の日本酒が売ってなかったらしく、パック酒の焼酎を使うことになった。

水1:酒1。

プリントアウトしてきたレシピにはそう書かれている。焼酎を鍋半分くらいまで入れた時、箱の中にはもう半分残ってしまった。我々のクラブのルールは既に書いたとおりである。残ってしまったものは持ち帰らないといけない。これ以外に宴会用のかなり高級な酒はたっぷり持たされている。残ったパック酒を飲みたいとも思わない。結局、残った焼酎の処理に困り、全部鍋に投入してしまった。

つまり水0:焼酎1。

「こんなに入れたらなかなかアルコール飛ばないじゃないかな~」と誰かが言った。だが、事態はその程度のものではなかった。テント内でグツグツ煮るうちに、みるみるアルコールは飛んだ。が、入り口を全開にしているにも関わらず、飛んだアルコールはテント内に充満した。みるみる皆の顔が赤くなってきた。肺から飲酒しているようなものだ。ダイレクトに血管に注入されるアルコールのせいで頭がふらふらした。

それでも規律正しい軍隊のようなこの集団。誰も文句いわずじっと出来上がるのを待った。やがて全てのアルコールが飛んだことを確認し、小皿に分け与えられた。めちゃくちゃ腹が減っている。これまで多少のまずい飯は食ってきた。少なくとも見た目は美味そうである。しかし、この自信は簡単に覆された。

美味い不味いの問題ではない

一口食べて誰もが「うわっ!なんじゃこれ」。既に酔っているいるのに、まだ焼酎の強烈な味がする。飲み過ぎて吐きそうな時に、「水飲みな」といって焼酎の入ったコップを渡されたときのような気分である。うまいかまずいかの問題ではなかった。吐くか吐かないか、であった。

とりあえず液体を絞って具だけでも…食べよう。そうして、なんとか具だけは食べ終えた。しかし、自分の小皿に残ったその液体と、鍋に残っている大量の液体、これだけはどうしようも無かった。

リーダーの3年生は頭を抱えて考えこんでしまった。これまで自分たちが貫き通してきたルール。一切のゴミは捨てないということ。でも、この液体だけはどうしようもない。まだ、行程はあるのに、これを背負って帰るわけにも行かないし。何分か考えた末に、よし捨てよう。リーダー最後の一大決心であった。

私は今でもこの決心は正しかったと思うし、私がリーダーでもそうしていただろう。

振り返れば

何がこの失敗の分岐点だったかと思い返せば、それは鹿児島で広島西条の美酒鍋を作ろうとしたことである。何もわざわざ鹿児島に来てまで、西条ですら滅多に食べない美酒鍋を作ることなど無いのである。

それ以来、美酒鍋と聞くと吐きそうになる。どうかこの失敗を繰り返さないでもらいたい。