2012年7月4日水曜日

報道を信用しなくなった出来事

報道の信頼性をどのようにお思いでしょうか?

確かにたまには誤報はあるだろうけど、大手メディあであれば基本的に正しいことを報じているんじゃないの?これが多くの人の感覚ではないだろうか?

しかし、私の感覚はある出来事を境に全く変わった。はっきり言ってそんな生ぬるいことではない。報道を信用しない人も多いだろうけど、その多くは又聞き情報に基づくのではないだろうか。私の場合は、又聞きではなく実際に自分が体験した出来事がきっかけである。

その出来事とは、読売テレビからある事件の取材を受けた時のことである。私は、デジタル画像を解析する職業だったため、当時起きた大阪でのひき逃げ事件の防犯カメラ映像を解析できないかと依頼が来た。正確には私の上司への依頼である。

1時間で鑑定しろ

依頼内容は、防犯カメラに移った犯人と思わしき車の車種を特定してくれというもの。そのために職場に持ち込んだ映像データの扱いの素人っぷりにも驚いたのだが、何よりも驚いたのはそれを2時間後に放送するから1時間くらいで結論を出してくれということだった。いい加減なことは言えないし、映像だけで車種が特定出来るわけがない。車のサイズや形などのデータが必要だし、防犯カメラの取り付け位置や画角などの情報も重要である。

それなのに2時間後に放送?我々は占い師か?

「テレビ局=映像のプロ」ではない

しかも持ってきた映像データは、DVD-Video形式といってMPEG2圧縮がかかったものだった。防犯カメラ映像は、おそらく既に映像に圧縮がかかっており劣化している上に、さらにMPEG2で圧縮されれば本来の防犯カメラの映像の品質は著しく低下する。しかも夜の映像だったから、品質劣化は極端に悪くなる。物の輪郭や色すらわからなくなってしまう。そんな素人でも知っている常識を知らずに、データを持ってきているのである。

結局、大したことは分からずに、分かる範囲内で上司がニュース番組の解説をした。言えることといえば、車の色は黒か紺、車種はワゴン、などという素人でもその映像を見れば分かることだ。しかし、それが科学的な答えだ。いい加減にとにかく答えを出すことが科学ではなく、分からないことは分からないと答えることが科学者、すなわち真実を追求する者の答えなのだ。

だが、私が経験した出来事とはそれだけではない。

2回目の取材

再び同じ取材班から取材を受けることになったのである。しかも、今度は上司ではなく私自身に。それは、そのひき逃げ犯が捕まり、ひき逃げに使われた車種が分かったとき。私の上司はその時出張中で、私自身に電話がかかって来た。取材をしたいという。コメントして欲しいという。しかもまた、2時間後くらいに放送するので1時間後には、我々の職場に向かいたいという。

その電話を受けて、私は、本当に頭の中がクエスチョンマークだらけになった。そして聞き返した。

私:「もう、犯人は捕まったんですよね。車種も分かったんですよね。私は何をコメントすればいいんでしょうか?」
取材班:「車種は分かりました。ですから、もう一度画像をテレビに写して、この車種で間違いないとコメントして頂くだけでいいんです。」
私:「はぁ・・・そんなもんですか。」

というやり取りで取材を引き受けてしまった。私は、何かおかしいと思いながら、10分ぐらい考えた。やっぱりおかしい、結論ありきでコメントしろと言ってるだけじゃないか。もし、警察がやっぱり間違えてました、犯人は別に居ますとなったらどうなるんだろう。私は、ただいい加減なことを言うだけの、人間になってしまうじゃないか。

そう思って、再び電話しやはりそういうコメントは無理だと断った。

これは取材ではない

今から冷静に思えば断って良かったと思う。何のためにそんな意味のないコメントを求めるのか、しばらく考えた。要するに、自分たちの報道の責任を学者や専門家になすりつけてるだけじゃないか。当事者になってみれば、なかなか冷静な判断ができずに、こういったインチキ取材でもテレビにでれるということで舞い上がってしまって引き受けてしまう人はいるのではないか。

でも、よくよく取材をしている側の気持ちになれば分からないでもない。おそらく、毎日何かしらのニュースを撮ってこなければならないのだろう。撮ってこれなければ上司に怒られる。なんでもいいから意味ありげなコメントが撮れればいい。最終的には、自分たちの責任でもないし。

大手メディアを特別視するな

私は、読売テレビだけを非難するつもりは全くない。おそらく他のメディアにもそういう取材をする人はいるものだろう。逆に、読売テレビにも立派な人はいるはずだ。ただ、あまりにも上記のようないい加減な取材をいとも自然に申し込んできたことを考えると、常態化してるのではないかと思う。はっきり言って、こういうやり方をしていれば、誤報など時間の問題である。大手メディアとはいえ一個人の情報発信だと思わなければならない。

確かに、そう言えば、テレビで専門家がコメントするシーンがよくある。でも、あれに引っかかってはいけない。専門家だからといって正しい訳ではないのである。 お金をもらっていい加減な分析を公表する専門家もいる。機会あれば、このこともこのブログに書きたい。

結局は自分の責任だ

そんな、いい加減な情報の中で、大事なことは自分自信で納得できるかどうかではないだろうか。自分が納得したことは自分の責任で,それを自分の行動に繋げなければならない。だからこそ、誤報であっても文句を言うべきではない。信頼できなければ見なければいいのである。誤報にクレームをするから、やがてメディアは誤報を隠すようになるのである。