2013年11月15日金曜日

左翼先生の栄えた時代

自分だけの稀な体験なのか、それとも全国的に似たような傾向があるのか全く分からないけど、 自分が義務教育時代に経験した、というより違和感を感じた、出来事をここで紹介したい。

はっきり言って高校に入るまで心から尊敬できる先生は居なかった。 その最大の原因は、先生があまり勉強していないことが、生徒である自分にもなんとなく分かったから。 専門の教科ですら、質問しに行けばろくに答えられずにごまかす先生も多かった。 生徒は子供だから大丈夫だろうというのは全くの間違いで、その時はそういうものだと思っても必ず覚えていて、 大人になってやっぱりあの先生があの簡単な質問に答えられなかったのは、おかしいじゃないかと気づくもの。 自分の場合も、そういえば、今考えてみたら、当時の先生は変な人が多かったなという印象をもつ。 今思えば、今の自分の知識からすれば、当時自分が感じていた以上にその先生方は変な先生だった。 どう変かと言えば極端に左に偏った思想をもち、ろくに勉強もせずに自分の思い込みを、 めちゃくちゃな論理で押し付けてくる。そんな先生があちこちに居た時代だった(今は知らない)。

めちゃくちゃな論理

小学校時代の遠足や運動会の時だけお弁当を持って行くことになっていた。 ただ、なぜかお弁当の中身に関して変なルールがあった。

お弁当はおにぎり2個と漬物以外持ってきてはならない。

この理由は今の人には全く分からないだろう。 要するに貧乏な人もいるからその格差が目立ってはいけないので、 全員貧乏な飯にすべしということだった。 いかにも平等が大好きな左翼先生が考えそうなことだ。 当時の自分は、お弁当も持ってこれないような貧乏がいるかよと思った。 確かに芸人のダウンタウンの子供時代の話を聞けば、塩むすびとみょうがしか持ってこない生徒も居たとか。 それに、共働きでお弁当を作ってくれない親もいるかもしれない。 そういう配慮かもしれないけど、全員を最下層に合わせるという発想が貧困というか、だったらパンでもいいじゃないかと思ってしまう。 子供の頃は人との違いを非常に気にして、ちょっと変わった人がいたらいじめてしまうものである。 でも、それは何も貧乏かそうでないかだけじゃなくて、体型だとか、顔だとか、名前ですら。 ありとあらゆるものに関してである。 決して、体型が分からないようにダボダボの服を着ましょうとか、名前はやめて優劣の無い記号にしましょう、とは言わない。 にも関わらず、弁当だけが平等の象徴かのように取り上げてくだらないルールを作るのは、 平等が大好きなあまり何が大事なのかということを考えなくなっている証拠じゃないかな。 この弁当ルールに関して、「育ち盛りの子供に米+漬物のみ食事をさせるなんてありえない」と言い、 大きなおにぎりの中に大量の具材を入れてくれた、母親の方がよっぽどまっとうな考え方のように思える。

中学校時代にも無意味な校則が存在した。 今でも納得行かないものは、冬場の手袋とウィンドブレーカーに関する校則である。 なぜか、手袋を着用できるようになる日が決まっていた。 しかも、かなり寒くなってから。 自分たちは手がかじかむのを必死で耐えて自転車で登校していた。 校則にはなっていないが、ポケットに手を入れて自転車に乗ってはいけないと、熱心に生活指導する先生もいる。 なぜ手袋だめなの?

ウィンドブレーカーも同様に無意味なルールで縛られていた。 黒か紺のみ、という。 いやいや、安全第一って何時も言ってるやん!とおもった。 絶対派手な色の方が自転車乗るにも、道路脇を歩くにも安全でしょ。 未だに納得いかない。

さらには、こうした校則の改正は、生徒全員が校則を守ってからじゃないとだめだ!と言い出す、お馬鹿な先生も出てきた。 どこからそんな考えが生まれてくるのだろう。 問題のある法律が存在する時、国民が全員守るまで改正すべきでない、という考え方でもあるのだろうか? とにかく生徒を平らに平らに、個性をなくし、順序付けをなくし、平等にするためなら、本末転倒もやむなし、というのが左翼先生の基本のようだった。

ソ連と社会党が大好き

授業中、露骨に自分の政治心情を生従に押しつける先生もいた。 とにかくその先生はソ連(今のロシア)と社会党(現在の社民党の母体)が大好きであった。 例えばこうである。

「ソ連は、全員が平等に扱われている。私達が見習わないといけませんね。」
「社会党も平等が理想で本当に良い政党だと、先生は思います。」
「皆さんはどう思ぃますか?」

とにかくこういう事を事あるごとに言う。 自分は、親から先生の言う事が必ずしも正しく無いので鵜呑みにしてはいけないと、釘を差されていたため全て信用した訳では無かった。 しかし、こういう聞き方をされれば小学生くらいであれば「私もそう思います」っ言えば、先生に誉められると思いそう言ってしまうものだ。 本当に信じるかどうかは別の話だが。

他にもこういう事を覚えている。 その先生が授業中にテレビをつけ、湾岸戦争のニュースを見せた。 当時は、自衛隊がPKO参加すべきか否かで議論された結果、結局参加出来ないまま、戦争が始まってしまった直後ことである。 公平に言って、生の二コースを見せて自分たちが勉強している内容との対応を示すのは非常に良い事だと思う。 しかし、先生はその後も露骨に偏った事を言う。

「自民党は、この戦争に参画しようとしてたのだから本当に悪い政党ですね。」
「PKOに反対する社会党は、戦争を阻止しようとしていますね。」
「皆さんはどう思ぃますか?」

遠足はヤマギシズム教育

遠足の行き先はヤマギシだった。正確には、「ヤマギシズム社会実顕地」(通称、ヤマギシの村)というらしい。 記憶が定かでないので、正確にこれかどうかは分からないが、バスに乗って連れて行かれ、 当地の担当者が「村」という呼び方をしていたのは覚えている。 ヤマギシをご存じない方のために簡単に説明する。ヤマギシは要するに、自由な国日本国の中にある共産主義組織である。 共産主義なので全ての人は平等に暮らすというのが理想だが、入会と同時に財産没収、 その後は「ヤマギシズム」という考え方を教育され、給料なし休日なしで農業に従事させられる。 政治団体というよりどちらかとカルト団体と見られることが多く、Amazonで「ヤマギシ会」と検索しても 「洗脳」、「カルト」などというネガティブな言葉が並ぶ。

公平に言うために、ヤマギシの良い印象も伝えておかねばなるまい。 ヤマギシが頻繁に農産物や加工品をトラックで売りに来る時期があった。 風の谷のナウシカの音楽をかけながらくるのはそのイメージが近いからだと思った。 ヤマギシが売るパンやシュークリームは当時のスーパーなどでは売ってなかったようなクオリティでめちゃくちゃ美味かったことを記憶している。今では結構あたりまとなったがシュークリームはでかくクリームが濃厚で美味かった。 天然酵母パンも当時のパン屋には売ってなかったような、手作り感あふれる味で、明らかに群を抜いて美味かった。

ヤマギシの村での体験は、前半は楽しかった。 ヤマギシでは、鶏も通常の養鶏所のようにただ餌を与えられて卵を生むだけではなく、 囲いの中を放し飼いにされていて、オスもメスも一緒くたに育てられていた。 卵はあちこちで生むので探しながらとらないといけない。 より自然な形で育てられているから良いのだという。

しかし、後半見せられたものには、今でも鮮明に記憶するほどの違和感を感じた。 1つの部屋に生徒全員が集められ、ヤマギシの村がどういうところかという説明を受けた。 まるでNHK教育テレビで出てくる体操のお兄さんのような若いお兄さんが登場して挨拶した。

「ハレハレー」

顔の両側に両手を広げて手のひらをこちら側に向け、カサゴのようにヒレをひらひらさせながら「ハレハレー」と声を放つのである。

「皆さんも一緒に!せぇ~のハレハレー」
「みなさ~~ん、ヤマギシでは喧嘩をする人は一人も居ません。誰もが笑って暮らしています。みんないつも笑顔です。」

はっきり言ってドラマ「トリック」に出てくるカルト団体そっくりである。 それ以外も色々説明してたけど、殆ど覚えていない。 この喧嘩をしないという点に子供ながら、嘘だと思ったことをはっきり覚えている。 根拠はないけど喧嘩しないやつがいる訳がない。 喧嘩の絶えない家族に生まれた自分が特殊なのかもしれないけど、とにかく率直にそう思った。

しかし、まぁ今思えば、自分の子供がこのような遠足に連れて行かれると知ったら反対するだろうな。 オオム真理教に遠足に行きますと言って怒らない親がいるだろうか? 自分の思想は自由だけど子供に偏ったことだけを見せる事自体が洗脳と同じじゃないか。 しかし、当時はそれがまかり通ってた訳だから一人の特殊な左翼先生が居ただけではないということが、今になって分かる。

反戦教育のためなら暴力もやむなし

中学時代の修学旅行は当然、左翼先生が大好きの広島になった。 反戦教育ができるからである。 確か初日は広島の手前の町で観光し、翌日大きなホールで被爆者が講演する体験談を聞いた。

中学生にとっては全く面白くないけど、それは元気盛りの中学生、友達同士が同じ宿に泊まるというだけで楽しくて仕方ない。 当然、どこの学校でも同じ、前日の夜は興奮して全く眠れない。 予め枕投げは禁止と釘を刺されたけど、たった1つのゲームを奪われただけで、中学生の自由は奪えない。 先生が居ない時は寝ないでふざけまわり、先生が来ると寝たふりをする遊びで十分楽しめた。

ほぼ寝れないまま被爆者の体験談を聞く時間になった。 薄暗いホールで座らされ、特にしゃべり上手でもない被爆者の話を聞かされれば、どんな人でも眠たくなるのと思う。 自分は真ん中からやや後ろに座っていたのだけど、前の方の男の子も女の子も多くの首が傾いているのが見えた。

自分も、うとうととし始めたその時、周りの生徒がざわめき初めて目が覚めた。 生活指導などで生徒に暴力を振るうことで有名なあの先生が寝ている生徒めがけて突進してきた(ように見えたが実際は歩いてきた)。 体も手も丸々太った190cmくらいの先生が生徒の頬を順番に バッチーーン、バッチーーン、バッチーーンと会場に音が鳴り響くくらいに連続ビンタしているのが見えた。 この先生、同じクラスのやんちゃな生徒の顔をめちゃくちゃに殴って本当に顔の形が変わるくらいボコボコにしたことがある。 実際の殴られた生徒の顔を見たが両目が腫れて戦った後のボクサー見たいになっていた。 担任の先生が大丈夫かと心配した程である。 そんな先生に連続ビンタされるのは嫌だから、その後も必死で寝ないことだけを考えて、長い講演を乗り切った。

中学生ながら後から考えてどう考えてもおかしいとおもった事を覚えている。 反戦教育は被爆者の方が可愛そうだと同情するための教育ではなくて、 暴力自体がダメなことなんだとと教えたかったに違いない。 にも関わらず、その教育をやってる目の前で教師が暴力を振るってどうするんだと。 しかも、それは警告射撃なしの即射殺のような連続ビンタである。 ヘタすれば死んでしまう生徒だっているかもしれない。 一体何を考えているのか、この先生はと思った。

こんな先生方が今義務教育組織の長になっている

これまで紹介した先生は一人ではない。 その中には、自分の得意分野を見つけてくれた、自分の人生にとって大事な大事な恩師も含まれる。 それでもやはり、偏った教育がなされていたように思う。 なぜ、義務教育の先生が特に左に偏っていたのか? 日教組の影響が強いかもしれない。 平等が正義だと考える左翼先生にとっては、とにかく他の都合の悪い事実は無視して、 というより勉強不足で知りもせず、平等であればすべてが良いと信じ込んでいた。 しかし、少し勉強すれば、事実をより多く知れば、物事はそれほど単純ではないということが分かる。 心配なのは、ここで紹介した先生方は、当時30代後半から40代前半、今は丁度教育組織の長になっている。 こうした先生が世代交代により総入れ替えするのは、50年近くかかる。 教育システムを真剣に考えるということは、本当に大事だと痛感する。

参考