2012年7月4日水曜日

Is this "寿司" or "酢飯の刺身のせ"?

海外では日本から来たというと寿司の話をされることが多い。寿司がこれほどにまで外国人に受け入れられるとは、なんとも不思議なものである。米にドレッシングをかけるような、ジャポニカ米の米自身の旨みも感じ取れない人が本当に寿司が美味いと思っているのだろうか?

プラシーボ効果か?

たとえ 全く効き目の無いはずの薬を飲んでも、その薬が病気に効くんだと聞かされていれば、1割くらいの人には実際に効果があるらしい。先入観とは恐ろしいものである。これはプラシーボ効果といって、実際に新薬のテストをするときは、このプラシーボ効果の分を差し引きしなければならない。寿司にもこの効果が影響していたりはしないのだろうか?つまり「寿司」=「うまいもの」という先入観ではなかろうか?

確かに、食べ物の好き嫌いは先入観の影響は極めて大きいと思う。だから子供の頃に吐いてしまったような食べ物は中々食べれない。逆に嫌いな物でも、一度食べることができれば、それ以降は本当の美味しさを感じることができるようになる。食べれないものなど、要するにただの先入観なのである。

寿司がうまいと言われるのが単なる先入観かどうか確かめるには、新薬のテストと同様の実験をすればいい。寿司が美味いと聞いてはいるが、詳しく見るのは初めてで 、初めて食べる人に、寿司とは全く違う食べ物を食べさせたらどうなるのだろう?

わさびと醤油が好きなのか?

外国人の寿司の食べ方を見ていると、醤油とわさびをたっぷりシャリに浸して、お箸でつまんで食べる。そんなにつけること無いのに・・・・と思うが、当の本人はむしろ、たっぷりつけることが日本食をたっぷり理解することにつながるかのような態度で、「日本人はもっとわさびをつけても平気なんだろう?」と聞いてきたりする。醤油はソイソースなどと訳した事がそもそもの間違いなのか?醤油はソースとは全く違う。皿についたソースは、ソース単体でも美味いからパンで拭きとって食べるけれど、米一粒も残さない日本人ですら醤油を舐め回す人はいないのがいい例だ。

そもそも、あれは寿司なのか?

NHKのためしてガッテンによると、寿司の旨みは酢飯と魚肉が十分に密着して初めて生じるらしい。確かに江戸前寿司以外の日本古来の寿司は、押し寿司で魚肉と米がしっかりと密着してるじゃないか。酢飯に刺身をのせただけの物を、寿司、寿司と言うけれど、多くは刺身の部分が旨ければ、寿司がうまいと言ってしまっていないだろうか?もっというと中途半端な鮮度の刺身をごまかすために、酢飯と一緒に食べてるだけではないか。

刺身と酢飯が十分に密着していれば、ネタのみを箸で持ち上げてもシャリが外れないらしい。しかも、うまい寿司というのは、シャリがふんわりしている。十分に密着させるために圧力をかけるにもかかわらず、シャリを潰しすぎないようにする。だからこそ、寿司を握るのは難しいのだ。そう考えると回転寿司など、酢飯のおにぎりに刺身をのせているだけである。本当に寿司がうまいと思ったのはごくわずかだが、いずれもネタとシャリの境目を感じなかった。

デフレかもしれないが、日本人は、もう少しいい物を食べるべきだと思う。ファーストフードや回転寿司でも満足できる馬鹿舌を育成してしまったら、日本の素晴らしい文化は、どんどん消えてしまうだろう。外国人に、酢飯の刺身のせが寿司だと勘違いされきってしまわないうちに、我々自身が本当の寿司の旨味を体験して、それは寿司じゃないよ教えるべきだ。

※ためしてガッテン(2007年01月03日放送
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20070103.html